プロフィール

僕は現在、勤めることなく自宅でネットビジネス1本で生活しています。

 

ネットビジネスに取り組む前は、大学卒業後20日間だけ会社員、3年のニートひきこもり、6年半で公務員退職と、他人様に誇れるような経歴ではありません。

 

ただ、こんな経歴だからこそ、

◆短期職歴を抱えた後ろめたさ、転職活動の怖さ

◆無職でいることの歯がゆさ、悔しさ

◆組織人として勤めることの苦悩やリスク

 

など、働くことについて苦しんで生きる人の痛みは、人一倍わかっているつもりです。

 

ブログで情報発信をしていくなかで、僕の経歴を見た人が、

 

「こういう生き方もあるのか」

 

と少しでも人生の選択肢を増やすことができるかもしれない、そう思ってプロフィールで経歴を公開することに決めました。

 

◆面接に行くのが怖くて就職も転職も一歩を踏み出せない

◆就職していないと、将来が不安で何をしても心から楽しめない

◆組織の思い通りに動かされて仕事が選べない、給料は上がらない

 

せっかく一度きりしかない人生を、ずっとこんな悩みに支配されながら生きてきました。

今はネットビジネスに出会い、安定した公務員の地位を捨てて、

◆好きな人とだけかかわって

◆好きな時間に

◆好きな場所で

◆好きな金額を目指して

働く人生を楽しんでいます。

劣等感や悩みに苦しんでいた僕が、どんな人と出会ってどう変わっていったのか、これがあなたの「動いてみる勇気」の源になればこれほど嬉しいことはありません。

 

第一章 大学生なのに就職活動を拒否

一人で好きなように仕事がしたい

 

何の覚悟もなく漠然と起業への夢を抱えていた大学生の僕。

 

夢の正体は、就職活動の面接で劣等感だらけの自分をさらけ出すのが怖くて、自己分析だの企業説明会だのから逃げ回っていただけです。

 

「面接で答えに詰まったらバカにされそう、ニュースについてどう思ったかなんて聞かれても困る、自己PRできるものなんて何もない・・・」

 

努力もせず、就職活動への漠然とした恐怖から逃げ回っていました。

 

なぜ起業に憧れたのかというと、小学校6年生から中学校3年生まで通っていた学習塾が個人経営だったことに影響されていたからです。

 

僕は子供の頃にこの塾と出会ったからこそ、人生を自由に生きたいと思う心が強くなりました。

 

時間も仕事も給料も自由に決められる経営者

 

個人経営者である先生は、大学時代に就職活動をするのがどうしても嫌で、バイトをしながら28歳で塾を開業しました。当時小学生だった僕は、そのエピソードにずっと憧れていました。

 

面倒な人間関係にしばられず、一人でやりたいように仕事をする

 

自分だけの城で自分のペースで働く先生のスタイルが、口下手で不器用な性格だった僕には眩しすぎました。

 

僕も大人になったら、先生みたいに自分一人で自由に働きたい!

 

子供ながらに漠然と、起業への憧れを持ち続けていました。

 

塾は中3で卒業なのですが、生徒でなくなった後も憧れの先生に毎日つきまとい、最後にはカギを預かって講師をしたり掃除をしたり電話番をしたりしていました。大学卒業の23歳まで、ほぼ毎日憧れの経営者を眺めていたんです。

 

とにかく自由に仕事をする先生に憧れ続けていました。

 

先生はいつも僕に楽しい夢を語ってくれます。

 

「佐々木、俺はな、一生遊んで暮らすって約束してた大学時代の仲間が、大学4年でいきなりリクルートスーツ着て真面目な顔して面接行きよんのに嫌気がさしてん。せやから俺は絶対に企業人になってたまるか!って決めて、何か始めたろうて思ったんよ。」

 

何回聞いてもこのエピソードは、引っ込み思案な僕には英雄のエピソードのようにカッコ良く響きます。いつしか自分も、企業に勤めるのは嫌だ、先生みたいに自分で事業を立ち上げたい!と強く思うようになります。

 

◆生徒が学校にいる時間、昼寝をしたいときには昼寝をし、やる気のある生徒がいれば夜中まででも塾を開ける。

◆不登校の子が頼ってくれば、朝から塾を開けて勉強させる(保護者は涙を流して感謝している)

◆試験が終われば休みにして生徒にお菓子を配って小さいパーティをする。

◆夜中まで受験勉強した生徒には牛丼をごちそうする。

◆年末には生徒総動員で大掃除をして、最後は教室で鍋をつつく。

 

そんな塾は見たことがありません。

 

何をしても自由。仕事が自由だと人生はあんなにも楽しい!

 

自由への憧れはどんどん加速していきます。

 

面接への恐怖で就職活動から逃げまわる

周囲が就職活動をするなか、本当は面接で無能な自分をさらけ出すのが怖いだけなのに「俺は独立するから就活はせえへん!」などと宣言し、だらだらとアルバイトをしながら将来について何も考えずに過ごします。

 

何も計画せず、とにかく目の前の嫌なことにフタをする。人生で一番フタをすべきでない時期に僕は嫌なことから耳をふさいで逃げてしまいます。

 

それぐらい、面接で自分をさらけ出すこと、ダメだしされたり圧迫面接されたりして傷つくことが怖くて仕方なかったのです。

 

卒業も間近に迫ってくると、さすがに何もしないのが怖くなって、就職活動の代わりに行政書士の資格を取ることに逃げ始めます。それも確かな計画もなく、漫画『カバチタレ』で行政書士が活躍するのがカッコよかった、それだけの理由です。

 

勉強していれば、怖くてたまらない面接に行かない言い訳にもなるし、資格さえとってしまえば独立もできる!と当時の僕は本気で考えていたのです。

 

資格だけ取っても実務知識は?集客は?

 

そんな心の声は全部聞こえないふりをして、「とりあえず資格を取ればなんとか物事は進むだろう」と目の前の現実から全力で逃げ続けます。

 

大学卒業の2か月前、無事に行政書士試験に受かります。だからといって何も起こりませんでした。

 

しかし周囲はとっくに就職が決まって卒業旅行の計画を立てるなどして、有り余る時間を優雅に過ごしています。

 

一方で僕はというと、先が決まっていないことを周囲に憐みの目で見られるのが怖くて、大学にも顔を出さず、ひたすらバイトをして旅行をして、まだまだ現実から逃げ続けます。

 

そうして迎えた卒業式。

 

「え?佐々木、就職せえへんの?もうとっくに決まってると思ったわ。マジで4月きたらヤバイって。あと2週間で新卒のうちにどっか面接受けや。行政書士なんて金にならんで。どないすん?どないすん?」

 

と周囲から憐みと好奇心の目で見られ、怖くて就職活動ができなかったなどとも言えず、仕方なく残り二週間で面接してくれるところを探します。

 

自分が間違っていた、先生に憧れただけで覚悟もせずに社会に出ることから逃げた。

 

ずっと逃げてきた期間にたまりにたまった自己嫌悪が一気に押し寄せてきます。

 

幸いにも、3月後半でも就職が決まっていない人用の企業説明会は多数あり、説明会に出展していた進学塾の面接を受け、内定をもらいます。

 

もしこの時、資格にも旅行にも逃げずに、有り金使って自己投資をしてビジネスを学んでいたら・・・。

 

先生のように自分の信念を曲げずにやるだけやってみたら・・・。

 

タイムマシーンがあれば速攻で進むべき道を示してやりたいです。

 

そしてこの焦った就職が、一つ目の悲劇の始まりでした。

第二章 世の中全部が憎い!家で暴れるニート期間

どうにか滑り込みで就職内定した学習塾。得意だった英語の講師として正社員で採用されるとのこと。これなら自分でもやっていけそうと、能天気に喜びます。結局は、多数派のなかにいると安心してしまうのです。

 

ここで修業をしてから塾を開いたっていいはず!

 

そうやって信念がブレブレな自分を正当化して、鼻息荒く入社研修に取り組みます。

 

そこで待っていたのは、徹底的な洗脳、イジメと派閥争いという地獄の日々でした。

 

初職場は、たった20日で逃げ出しました

僕が入社してから何度も繰り返し言われた言葉があります。

 

「ここほど良い会社はない。ここがダメなら他のどこいっても務まらん」

 

この言葉を何度も何度も繰り返され、会社のキャッチフレーズを書いたハチマキやハンカチを買わされます。また、トイレ以外は監視カメラで監視されていました。

 

当然のように休日がなく、初日から5月末まで予定が組まれていましたが、休日は2か月でたったの3日。

 

「これぐらい新人なら耐えてくれな困る。こっちは金出して育ててあげてるんだから」

 

と、これも何回も聞かされます。

 

そのうち、馴染めない自分が悪い、うまくやれない自分が悪い、認められたい、嫌われるのが怖い、、、とどんどん気合だけが空回りする日々。

 

なんとか食らいつこうと周囲の先輩に仕事を聞きながら仕事をしていたとき、僕は職場のお局様の逆鱗に触れてしまいます。

 

「あんた、どういうつもり?」

と突然目をひんむいて怒る年配の女性に僕は頭が真っ白になります。

 

「どういうつもりかって聞いとんねん。」

 

と迫られるも、僕の頭は「????」で焦りばかりが募ります。

 

「あんた私を無視して他の社員に仕事聞いて。。あんた副社長派か、10年もここにおる私を無視して副社長派の子らに仕事聞くんか。え?」

 

入って1週間そこらの僕には派閥も何も知ったことではなかったのですが、とにかく平謝りをします。

 

翌日から、僕のデスクは撤去され、誰も目を合わせてくれなくなります。空いているスペースで仕事しようものなら、

「そこ〇〇さんの予約席やから座らんといてくれる?」

と注意される始末。

 

上司に相談するも、

「そんなことぐらいでくじけてたらどこ行っても務まらんよ」

の1点張り。

 

「これはあかん。こんな所にいたら頭がおかしくなってしまう。会社に行くのが怖い、もうイジメられるのは嫌や。」

 

打たれ弱く、喧嘩もほとんどしたことがなかった僕は、強く自分の意見を訴えることもできず、また逃げる道を選び、たったの20日で会社を辞めてしまいます。

 

こうして、人生で初めての無職が始まります。

自業自得を認められず、うつ病ニートになる

しつけにとても厳しい母親のもとで育ったため、短期で会社を辞めて無職になることで、実家で責められ続けることになりました。

 

「あんたこれからどうすんの?ロクに就活もせえへんからこんなことになるねん。大体法学部行かしたったのになんで塾なん?あの先生に変に影響されたんやろ?」

 

毎日母親に責められ、かといって家を出る度胸もなく、無計画に夢を見ていた世界は厳しい現実に姿を変えてしまいます。

 

グレることも友人同士の喧嘩すらもほとんど経験がない真面目で地味なタイプ。鍛えられていないメンタルに、この挫折は深く傷をつけます。

 

「なんで俺は昔からどんくさいんやろ。何やっても人と同じようにでけへん。皆は何の疑いもなく就活できるのに、俺はいつも皆がすることが嫌でしゃあない。ほんま出来損ないや。」

 

就職活動をまともに行わず、逃げた自分が悪いというのに、それを認めも改善もせず、自分を責めるだけの思考にとらわれ続けた結果、不眠症を患います。

 

夜寝ようとして布団に入ると、頭のなかで「キーン」と高音が響いて、心臓がドキドキしたりイライラしたりして、明け方まで寝つくことができないのです。

 

眠れない症状を訴えに脳外科へ行くと、「中程度のうつ病」とまで診断され、ますます自分に自信をなくしてしまいます。本当に失礼な思考ですが、うつ病なんてサボり病だと思っていたのです。

 

「俺はずっと自由にやりたいようにやりたかった。でも小さいころから何でも親に何でも反対された。大学だって本当は英語をやりたかったのに、無理やり法学部をうけさせられた。今自分がやりたいことをやれないのは全部親のせいや!」

 

わけのわからない理屈で親を憎み、眠れないのも就職活動をサボったのも全部親のせいだと思い始めます。

 

心理学の本を読み漁っては、養育環境が影響して心が成長しない事例を自分にあてはめ、親を憎むことでどうにか自分が傷つかずにすむよう、必死で自分をかばい続けました。

 

「まともに働きたい、でも面接が怖い。人間関係が怖い。バカにされたくない、無職を知られたくない、うつ病って知られたくない。でも動かないと始まらない、でも動けない・・・」

 

無限ループに陥って動けない苛立ちが、親を憎む気持ちがどんどんエスカレートさせ、鎮静剤を飲まないと家のものを壊しまくるほどに病気が悪化してしまいました。

 

ふすまをボロボロに破り、血が出るまで壁を殴り続け、声が枯れるまで叫んで親を罵倒する。

 

派手に暴れた後の自己嫌悪と後悔、そんなときに限って優しかった親の思い出が浮かんできて罪悪感は倍増します。

 

世の中がすべて真っ暗で、23歳の若さでもうまともに生きていく道は断たれたと完全に心を閉ざし、自室にひきこもってしまいます。

 

どうせ社会人経験がないと自営なんて無理、元手の資金がないと自由になんてなれない

 

自分が傷つかないためにたくさんの言い訳を並べて挑戦することも知識を得ることも放棄して、完全に腐りきってしまいました。

 

公務員になれば一発逆転がかなうと考える

社会人として働くことも、まして自由に自分で起業することも、真っ暗な視野のなかでは考えることもできませんでした。

 

「とにかく世間体に合わせて生きないと、このままじゃ一生ひきこもりや・・・。」

 

そう思った僕は、「公務員試験の勉強をしていた」といえば空白期間の言い訳になると考え、とにかく世間様に合わせる顔を作りたい一心で公務員を目指し始めます。

 

頭がおかしくなるほどの試験科目の多さ、面接試験への恐怖で何度も教材を破いたり泣きさけんだりしながら、2年間コツコツと勉強を進めます。

 

大学時代、独立を夢見ていたころは、「安定志向で公務員になるなんてカッコ悪い!」などと、内情も知らず生意気なことを考えていたというのに、いまやそれを必死で追い求めている。過去の自分が情けなくて何度も自己嫌悪で暴れてしまいました。

 

時間を持て余したニートが2年間勉強をした結果、どうにか筆記試験をパスする学力は得ることができました。

 

しかし面接試験では劣等感からくる自信のなさで言葉が出ず、ことごとく玉砕してしまいます。

 

「志望動機は?」

 

「え、あ、あ、あの、地方教育の発展のお手伝いを、あの、、、その」

 

「あなたは何がしたいのかハッキリしていない。法学部なのに塾に就職した意味もわからない。今後の試験も難しいと思うよ。」

 

などと面接官に言われる始末。

 

プライドだけは一人前、打たれ弱くてすぐにヤケになる僕は、この面接官の言葉以降、ほとんどの試験を願書も出さずに放棄してしまいます。

 

最後に残った地元市役所の試験。

 

親が地元の広報誌に掲載された募集条件を僕の所へ持ってきます。

 

そこで面接がたったの5分であることを知り、「これがラストチャンス!」と思って決死の覚悟で受けてみた結果、奇跡的に内定をもらうことができました。

 

今考えれば、そもそも、退職理由など淡々と述べれば良いだけでした。面接官にとってはそんなことはどうでも良いんです。人畜無害でよく働く人材を見つけるのが仕事なのです。

 

それなのに僕は、自分で自分の首を絞めて、他人にとってはどうでも良いことに劣等感を持ち続け、自分で世界を狭めていました。

 

大学卒業間近のあの頃、周囲の目を気にして焦って就職するぐらいなら、情報を集めて自由になる道を模索すれば良いのに、、今の自分なら間違いなくそうします。

 

こうして僕は、うつ病ひきこもりニートから一変、地方公務員として地元の市役所で働き始めることになります。

第三章 世間体を気にして公務員になる

僕の地元は大阪のなかでもかなりの田舎です。

 

だんじりや地蔵盆、夏祭りも色濃く残る山間都市。外から見る分にはのどかで綺麗ですが、そんな小さい街の役所に勤めることで、組織人というものがどれだけ大変かを思い知らされることになります。

 

手取り16万円のクレーム地獄

僕が配属されたのは「ごみ」を扱う部署。通称「ごみ隊」。新人歓迎会で先輩職員たちが憐みの目で見てくるのでなんとなく嫌な予感はしていましたが、苦情処理専門部署と名高い部署でした。

 

◆町内会のごみ当番のもめごとへの苦情

◆産業廃棄物やテレビなどの不法投棄への苦情

◆中国人の粗大ごみ荒らしへの苦情

◆ホームレスの資源ごみ荒らし苦情

◆カラスやイノシシの害獣対策

◆道路上のネコやタヌキの死骸処理

◆ハチや毛虫に関する苦情

◆落ち葉に関する苦情

◆汲み取り式トイレの料金未払い、悪臭への苦情

◆ごみ収集への参入を求めて脅迫してくるヤクザまがいの業者

◆ごみ屋敷になっている住人への説得

 

土日の休みなど存在しない、24時間当直から苦情の取次がくる地獄部署でした。ごみは老若男女問わず、誰だって出ますので当然です。

 

新人配属されて、コールセンターのように電話が鳴りやまないなか、初めにとった電話が「有料ごみが高すぎるねん!どないかせーや!」という女性からの苦情でした。

 

僕の初仕事です。といっても、新人には平謝りしかできませんでしたが。

 

「リサイクルに協力したってんねんから他のごみで金取るなや!大体あんたら税金泥棒で暇してんねんからさっさとうちまでごみ取りにこいやボケ!」

 

僕「ご協力本当にありがとうございます。リサイクルにご協力いただいているおかげで市の大きな収入源になっております。それにも関わらずお客様には不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ございません。」

 

こんなやりとりは1時間に2,3回あって、打たれ弱かった僕は相当精神を鍛え上げられました。当然、休日にも自分の携帯にこんな電話がかかってきます。

 

仕事用の携帯なんて普及されないので、自腹で市民さんに電話です。さすがにおかしいと思って総務課や人事課に訴えたところで、「予算がついていない」で終了です。

 

それどころか、小さい市役所の村社会では、一度でも「めんどくさいヤツ」というレッテルを貼られてしまうと、キツイ部署や閑職部署で「飼い殺しの刑」が待っています。雇われの身ではこれが当たり前ですよね。

 

それに仕事内容がハードでも、無給で休日にクレームを受けても、「残された道はココにしかない!もううつ病ニートに戻るわけにはいかない!」と思っている僕は、必死に市役所の業務に食らいつきます。

 

僕より悲惨なのは役職者です。たった2万円の役職手当以外、残業代はゼロです。

 

僕のような平職員は、苦情まみれで昼間に事務ができなくても、残業代はちゃんと出してもらえたので、休日対応が無給でもギリギリやっていけました。

 

ちなみに当時の手取りは16万円。公務員への批判の目は強まるばかりで、6年半続けた最後の手取りも18万円ほどでした。

 

福利厚生や手当は市民の目を気にしてどんどんカット。民間の福利厚生会社に委託したので、公務員ならではの安定や厚遇なんて幻です。

 

独身で賃貸物件に住めば家賃補助が上限2万円まであり、32歳でようやく手取りが20万いくかいかないかの世界です。

 

僕は独身でしたので倹約していればどうにかなりましたが、家庭をもっていてはこの給料ではキツかったと思います。おまけに副業をすれば即懲戒です。どこが安定職なのか、そもそも世の中に本当に安定職などがあるのか、疑問に思い始めます。

 

周囲はサボることしか考えない職員だらけで、一生懸命やればやるほど責任と仕事は真面目に頑張る人に降りかかってきます。

 

人事課からは「もう1年だけ我慢してくれ」と言われながらキツイ部署で踏ん張り続けます。

 

この「もう1年だけ」が結局3年続くのですが。僕のようなイエスマンは、組織に都合の良い人材なのです。

 

なんだかんだで人間は環境に慣れるもので、ヤクザまがいのクレーマーとも対等やりあえる強さを身に着け、最終的にはクレーマーに気に入られてお得意様までできるところまで上り詰めました。

 

「ごみのことなら佐々木に任せとけばええ!」

 

と市民さんから職員、委託の清掃業者にまで頼られる名物職員になったころ、ついに僕にも人事異動の声がかかります。

 

地獄を耐え抜いた先のようやくの異動。苦労が報われてしばらくはゆったりと腰を据えて仕事をしよう、そう思った半年後、まさか自分が働けない身体になるとは思っていませんでした。

6年半積み上げたキャリアが一瞬で崩壊。32歳で突然、働けなくなりました。

満を持しての異動!その異動先は「IT管理」。今までの窓口応対とは180度変わって、完全に他部署と断絶されたマニアックな部署になります。

 

いわゆるITエリートが支配する役所内きってのキャリア組たち。プライドも知能も高く、この時点で機械音痴の僕が務まるような部署ではありませんでした。

 

プロキシサーバー?仮想デスクトップ?LAN構築?

 

なんですかソレ?

 

システムエンジニアたちに囲まれ、初歩的な質問は鼻で笑われて、聞こえるように陰口を言う。それでもやるしかない僕は、必死に「ITパスポート」の勉強から始めました。

 

しかし実務経験に勝るものはなく、職員から毎日パソコンの不調の電話がかかってきても、とても応対などできない日々。

 

先輩たちに仕事を聞くと舌打ちされ、一人で電話番を任され、答えられないと電話口の職員に怒鳴られる。

 

帰宅後の21時~24時、朝は7時に出勤して始業までの時間と昼休みまでつぶして必死に勉強しても追いつけず、お荷物扱いの日々。

 

きつくても必要とされていた前の部署へのホームシックのような状態が続き、先輩たちの陰口やぶっきらぼうな扱いに、心と体はどんどん蝕まれていきます。組織に適合しようとするイエスマンは、サンドバッグにもされてしまうのです。

 

次第に電話音が聞こえるだけで手や声が震え、元気に活躍していた自分が嘘のように自信がなくなり、ひきこもり時代の自分が心に広がっていきます。

 

お客様に謝るのは平気でも、仲間であるはずの職員に怒鳴られるのは精神的にこたえます。

 

そしてついに、5か月目を迎えた8月、吐き気や胃痛、頭痛にめまい、体温調整がおかしく涙がとまらない、ひきつけを起こす等、盛りだくさんの症状が一度に押し寄せ、病院へ行くことになります。

 

「それは適応障害ですね。自律神経も乱れていてかなり危険な状態です。明日からすぐに病欠申請をして下さい。このままだとうつ病も併発して、下手したら2,3年仕事ができなくなります。」

 

当時、一人でクレーム対応を請け負っていた僕は、お医者さんに淡々と言われた言葉に目の前が真っ暗になります。

 

「こんな大事な時期に休んでしまったら、自分に戻れる場所がなくなる」念願の公務員になって6年半の出来事です。

 

適応障害というのは、環境が合わないことで日常生活に支障がでるほどの症状が心身にでる障害です。僕のように嘔吐したり震えたり涙が出たりするのは、仕事に支障ありと判断されました。

 

「もう今年で32歳。転職も難しいし、ここでキャリアに穴開けてしまったら職場から僕の席はなくなる。なんとか8月まで食らいついたのに、絶対に休まれへん!」

 

そうやって自分のお尻を叩いて、診断書を自宅に置いて出勤しようとした瞬間。。

 

玄関でひきつけを起こしてしゃがみこんでしまいます。しゃっくりのような発作がとまらなくなってしまうのです。

 

そのまま、顔がほてって涙がとまらなくなると同時に頭が真っ白になり、思わず市役所内で一番信頼できる元上司に電話をかけてしまいます。

 

「おう!佐々木くんおはよう!どうしたん朝から?」

 

気が弱い僕の味方をしてくれるコワモテの元上司。部署が変わって聞いていなかった懐かしい声を聴くと安心したのか、説明しようとしても言葉はでず、大泣きしてしまいます。

 

この日が僕の、人生二度目の無職の始まりでした。

 

電話口でヒクヒク言いながら大泣きする僕に驚いた元上司は、朝の忙しい時間にもかかわらず10分ほどで僕の家に駆けつけてくれます。10分で来られるような距離に住んでいる人じゃないのですが、相当なスピードで車をぶっとばして来たんだと思います。

 

すごい勢いで玄関が開けて、動けなくなっていた僕を抱きかかえてソファに座らせ、リビングで泣き止むのをじっと待っていてくれました。

 

強烈なクレーマーに罵られようが、ヤクザからの便宜をはかるように脅されようが、いつでも僕はニコニコして誤魔化していました。イエスマンの僕は、愚痴をこぼして人に嫌われるのが怖いですし、頼りにされるのが嬉しかったからです。

 

でもそうするうちに、本当に気持ちが強くなれたのです。もううつ病で暴れた自分は卒業したと誇らしく思っていました。

 

それでもこの日ばかりは、「いつものように笑顔で取り繕ってごまかすことはもうできない」

 

そう覚悟を決めた僕は、

◆今所属している部署の仕事も人間関係もどうしても合わないこと

◆心の不調から体調を崩し、医者に行くとすぐに休職するように言われたこと

◆医者の指示を無視して出勤しようとしたこと

◆そうでもしないと、休もうものなら完全に孤立してしまうこと

を襲ってくる震えに耐えながら話します。

 

8月のクソ暑い日にガクガク震えているのです。

 

事情を知った元上司は、診断書を僕から預かり、人事課とIT課に抗議にいきます。僕としてはまだ、市役所に戻る気でいたので、自分が戻りにくくなることはやめてほしいと思いつつも、どこかでありがたさも感じ、ただ成り行きを待つことしかできませんでした。

 

組織に居づらくなったら僕の人生は終わってしまう…。あのときの恐怖と不安は一生忘れられません。

 

数時間後、人事課から連絡があり、1か月の病気休暇を命じられます。元上司が申請してくれたようです。

 

まさか自分が休職…。

 

6年も順調に働いていた自分が、またしても精神的な病で働けなくなるとは思ってもいませんでした。

 

何とか休職期間を短縮させようと、毎朝スーツを着て出かける準備をする日々。でもそのたびに吐き気やめまいに襲われ、涙がとまらなくなって家から出ることすら難しくなってしまいます。

 

身体が全力で仕事を拒否していたのです。

 

この時に強く思いました。

◆どこに配属されるかは運次第。自分の人生を運次第で決定されるのは嫌だ!

◆この6年半、心が休まった日がなかった。いつも仕事が頭をよぎって暗くなっていた。

◆病気休暇が明けたらまたこのさき35年。同じような道を歩くの?

◆自分が歩みたい道は自分で決めたい!

◆給料も働く時間も人間関係も、全部自分で決められるようになりたい!

◆とにかく、組織を脱出して自由になりたい!!!!!

思い立ってはいてもたってもいられず、ネットや書籍で起業関連の情報を貪り始めます。

 

そこで出会ったのが、適応障害で退職せざるを得なくなった後、ネットビジネスで自由を手にした方のブログだったのです。

第四章 失意のドン底で出会ったネットビジネス

休職中に仕事に行こうとしても身体がついていかなくてダメ、だからといって家でじっとしていても仕事が気になってソワソワしてしまいます。

 

早く戻って仕事をしたいと焦る気持ちと、どうしても戻りたくない気持ちが激しくぶつかりあって、とても休息どころではありません。

 

そこでついに、「公務員を辞めて起業したら本当に生きていけないのか?」を調べるようになります。

 

「脱サラ 起業」「会社 辞める 生きる」「30代 脱サラ」など、数えきれないほど検索するなか、「適応障害 起業」と打って調べた際に、あるネットビジネス起業家さんのブログにたどり着いたのです。

 

◆適応障害は自分を否定されているものではない

◆むしろ正常な反応で、組織の仕組みに適応できないなら、起業にはむしろ適応できる!

◆適当な人は組織でも悩まない。真面目で愚直に頑張るから病気になるほど悩む。そんな人のほうが、むしろ起業には向いている!

 

読めば読むほど自分と同じだと思える共感できる言葉の数々に、ついファンレターを送ってしまいます。

 

返信を期待するものではなく、一方的に感謝の気持ちと、返信は忙しいだろうからいりませんとの意思も添えて送ったのですが、なんと数時間後、この方は返信を送って下さいました。

 

◆ネットビジネスでも「せどり」は不労所得扱いになって即金性も高いので、今まで頑張ってきたご褒美のつもりで休職中に取り組んでみるのも良い

◆休職期間が一か月を超えると手当が出ると思うが、罪悪感が出てきても気にせずに受け取ってくださいねという励ましの言葉

◆ネットビジネスにコツコツ取り組んだ後は、驚くほどの自由が必ず待っています

 

など、他にはかなり具体的にビジネス手法(外注化戦略など)を教えて下さったり、他はあまり公開できないような私的なお話も交えたり、見ず知らずの僕のことを一生懸命励まして下さる内容でした。

 

さっそくその方のブログアドバイスのとおりに古本屋へいき、わからないなりにツールを使ってメルカリで転売したところ、その日のうちに4000円もの利益を出すことができたのです。

 

驚きました。古本屋に居た時間は30分ほどです。近所の本屋なので実質一時間ほどでした。

 

時給4000円。素人がいきなり参入してもやり方次第で稼げることがわかった瞬間でした。ネットビジネスでなら、顧客との距離がゼロ、すぐに倍倍ゲームで利益を伸ばすことができるのだと。

 

その方からの学びでわかってきたのが、ネットビジネスというのは、

◆数万円の自己投資を惜しまず、教わる人を誤らずに勉強をすること

◆勉強内容を自己流ではなく、愚直に真似をして実践し続けること

このたった二つのルールさえ守れば、学歴や学力に関係なく、確実に稼ぐことができる分野だということを確信し、公務員を辞めてネットビジネスに絞って生きてみようと決心がつきました。

 

◆必要なスキルはキーボードを扱えることだけ。

◆あとは「稼げるまであきらめずに続けること」

 

また、ライバルたちの大半が教材等を購入しても最後までやり遂げる人は1パーセントいれば良いほうだというのも有名な話です。だったら、

 

書いてあることを守っているだけで1%に入れる

 

そんなシンプルな考えから、この不況の中、安定職とされる公務員の地位も全部かなぐり捨ててネットビジネスの世界へ足を踏み入れたのです。

 

◆ずっと諦めていた長期旅行に年に何回でも行く

◆足の引っ張り合いの取引先やお客さんからのクレームから解放される

◆次の日を気にせずに仲間と飲みにいける

◆日曜日の夜の絶望感は二度と味わうことがない世界

◆散々心配をかけた両親を旅行に連れていきたい

◆人事異動をするたびに神経をすり減らすことがなくなる

◆やればやっただけ自分に成果がかえってくる

 

手取り18万円で胃をキリキリさせながら生きていくことに絶望してしまった僕は、どうしても願いを叶えたくてネットビジネスの世界に飛び込みました。

出勤中にいつも、

 

「仕事でこんなにも辛い思いしてまで生きていかなあかん理由って何やろ?」

 

といつも思っている毎日が一転、今は手に入れるキラキラ未来に向かってネットビジネスに取り組んでいます。

 

今までの「勉強」とは違って、ビジネスの勉強は何時間していても飽きない分野ばかりです。そのすべてが文章を使った発信力を向上するための勉強です。ですのでノートパソコン一台あればどこでも仕事が可能です。

 

僕がこれまでに学んできた情報や初心者の方でも安心して参入するための前知識、具体的なノウハウ等はすべてこのブログで公開します。

 

僕みたいにいきなり仕事を辞めることはなくても、ブログでコツコツ知識を蓄えるだけでも既に他の人から一歩抜きんでてしまいます。

 

ここまですごく長いお手紙を読んで下さって本当にありがとうございます。

 

もし、何か共感する部分や、不安に思うことや感想等がありましたら、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。

 

僕に一歩踏み出す勇気をくれた方のように、今度は僕があなたの勇気の源になりたいと思っています。

 

最後にもう一度、こんなに長いお手紙を読んで下さって、本当にありがとうございました。

佐々木